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わが『東村山を元気にする市民協議会』では、三名の顧問の方々が決まりました。この街で、“ぜひこの人に”との私の思いがやっと叶いました。三名の方々からは「快諾」を得ました。
『元気協議会の顧問』(年齢順)
熊木令次さん (東村山市久米川町)
北川ユリさん (東村山市栄町)
日笠山正治さん(東村山市多摩湖町)
【熊木令次】さんは、言うまでもなく東村山市の「名誉市民」です。昭和42年から昭和58年まで当市の第2代目の市長を務められた方です。私が熊木さんと初めてお会いしたのは平成17年4月24日(日)でした。旧萩山テニスコートの存続運動を始めた頃です。 人づてに、「北山公園、運動公園など、熊木行政の遺産は素晴らしい」とお聞きし、殆んど“飛び込み状態”でご自宅へお伺いしたのがお付き合い頂く始まりでした。存続運動の最中、ある時は「熊木さんが市長だったなら...」と二人で溜息を付くこともあり、またある時は「高木さんと一緒に仕事をしてみたかった...」との言葉に顔を紅潮させたりもしました。それから、私にとっては“困った時の熊木頼み”が今も続いています。
今回、お体を気にされながら、「顧問ならば...」とやっと引き受けてくださいました。
【北川ユリ】さんは、ここ13年来、当社のお客様でした。但し、4年前までは“普通のお客様”でした。ある時、北川さんの玄関脇に“有名な良寛さんの和歌”があるのを発見し、私は思わず「これと同じものを出雲崎で見ましたよ!」と言いました。そこから話が広がり、北川さんがあの「女傑を生む街」・新潟県与板町のご出身で東村山在住50年を越すこと、教員生活の後に諏訪町で長らく書道教室を開いていたこと、60年安保闘争では長女を背負い国会議事堂のデモ隊の中にいたことなどをお聞きしました。思った通り、“ただ者”ではありませんでした。この話はこの『書下ろし帳』の2008年3月16日号に出て来ます。北川さんには、豊富なご経験からいつも適切なアドバイスを頂いています。
【日笠山正治】さんに初めてお会いしたのは平成19年1月31日(水)でした。紹介者は当時副市長をされていた澤田泉さん(現東村山市行政アドバイザー)です。私が「澤田さん、僕は歴史が好きなんですけど、この市の歴史についてお聞き出来る人をどなたかご紹介頂けませんか?」と尋ねると、澤田さんは「それならいい人がいますよ。ご紹介しますから、ぜひお会いになって下さい」と即座に対応してくれました。それが1月25日(木)のことです。日笠山さんは、当時『東村山郷土研究会』の会長で、大学の大先輩で(私の恩師・徳江元正先生の3年後輩)、鹿児島のご出身とのことでした。なんだか人の出会いとは不思議なものです。日笠山さんは『敬天愛人の会』の顧問もされています(下記URL参照)。
★私は日笠山さんの勧めもあり、『東村山郷土研究会』に入会しましたが、熊木さん、北川さんも同会の顧問・会員です。「温故知新」とはよく言ったもので、なんだか私も「東村山原人」に仲間入りした気分です。しばらくは、この大先輩の見守る中で思う存分“はしゃいでみたい”と思っています。
http://www.keiten-aijin.com/iwaukai_17.htm
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