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萩を行く

 投稿者:高木範夫  投稿日:2009年 9月25日(金)00時17分18秒
  通報 編集済
   連休初日の9月19日(土)に山口県の萩市に行きました。ご承知のように、萩市は毛利36万9411石の城下町です。藩名は、「長州藩」といいます。この藩は、関ヶ原の戦い以降さまざまな憂き目に会いました。江戸260年の間、藩主から軽輩に至るまで「リメンバー関ヶ原」を合言葉に苦楽を共にしました。

        ★☆★☆

  司馬遼太郎氏の『街道をゆく』は私の愛読書です。この本にはいろんな評価がありますが、私は「百聞は一見に如かず」・「百見は一考に如かず」という観点から、最も優れた大衆向けの歴史紀行本だと思います。そのシリーズの全43冊の第1番目が『甲州街道・長州路ほか』です。

 その『...長州路』にこういう一節があります。司馬さんと山口県出身の人との会話です。司馬さんが「長州で先生とつくのはたれとたれでしょう」と聞くと、その人は「吉田松陰先生だけでございます」と答えています。幕末維新の頃、長州では高杉晋作、桂小五郎を始めとして“キラ星”のごとく英雄・豪傑が出現しました。その中でも、長州人から「先生」と呼ばれるのは、吉田松陰ただ一人です。

 私が萩市で有名な『すずき』という居酒屋(写真下)で、女将に「萩で先生と呼ばれる人は誰ですか?」と質問すると、即座に「それは松蔭先生よ!」という答えが帰って来ました。

  私も吉田松陰は、日本史の中でも“第一級の人物”だと思います。恐らく彼の存在が無ければ、長州藩から幕末の志士と呼ばれる人達は生まれなかったでしょう。ここで、ひとつ一つ彼の人生を語るには、あまりにも紙面が足りません。
 先述の司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』(文春文庫)をお読みになれば、吉田松陰がなぜ山口県の人達に「先生と呼ぶのは松蔭先生だけ...」と云われる意味がお分かり頂けると思います。

        ☆★☆★

 さて、「旅は道ずれ世は情け」という言葉があります。今回の萩行きには、東村山市の「元気印な若者」の一人である片山啓吾君が同行しました。彼は、今年の5月に父親になったところです。まあ、世間で言えば、やっと「一丁前」になったところです。

 「くれぐれも、奥さんの承諾を得るように!」と言いましたら、さっそく奥さんに相談してOKを取って来ました。このフットワーク良さには、私も驚きました。
 それで、彼は忙しさの中をかいくぐり、19日は萩へ、20日には萩から長門、下関、壇ノ浦、山口を廻り、その日の内に柳井から愛媛の松山へと渡りました。20日は私の実家に泊まり、21日に松山市で『伊丹十三記念館』、『松山城』、『子規記念博物館』などを見学し、念願の『道後温泉』に入って私より一足先に帰京しました。

 私は、21日に松山市の道後で中学の同窓会に出席しました。これは次稿に譲ります。ともかく、息子世代との二人旅は、大変有意義でした。ひとえに、私の家内と彼の奥さんには大感謝です。



■(写真上)松下村塾の講義室の前にて

■(写真下)旅は“人との出会い”を演出してくれます。
 (右から宮崎の山下さんご夫妻、同行の片山君と小生)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%A1%BE

 
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