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9月21日(月)に中学校の同窓会が愛媛県松山市の道後で行なわれました。
前日の20日(日)の夜遅く松山入りした私は、同行の片山啓吾君と私の実家(現在は兄の家)に泊まりました。片山君は「高木さんて、一体、何者?」と思っているらしく、ともかくルーツを探ろうという探究心が旺盛らしい。「ただの遊び人の金さんならぬ、遊び人のノリさんだよ〜」という訳なのに...。
しかし、常に私の体を気遣いながら、「無理しないで...」と言ってくれる彼には本当に感謝です。私には二人の息子がいますが(娘も一人)、三人目の息子が出来た思いです。松山城の急な階段を上る時も常に後ろにつき、見守ってくれました。31歳の若者の心使いにしては、素晴らしいものがありました。
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さて私は、そんな彼とも道後で別れ、45年ぶりの中学校の同級生のいる所へ急ぎました。会場は道後の『メルパークホテル』でした。「え〜...!」、何とそこは36年前(昭和48年4月17日)に私の結婚披露をした『郵便貯金会館』でした。まさに、“サプライズ”です。
開会は午後6時でしたが、私は世話人の一人でしたから午後4時に『メルパークホテル』に行きました。10名程の世話人のうち、女性は全て45年ぶりの再開でした。私は会場の案内係で、特に4名の先生方をお席に誘導するのが主な仕事でした。
我々は1学年に7組あり、333名の同期生がいました。そのうち30人が亡くなり、48名が住所不明とのこと。今回の出席者は98名でした。先生方は7名中2名が故人となっており、生存者5名の中で今回のご出席は4名でした。最高齢は88歳の岡田先生です。
私の担任は、“下駄さん”というあだ名の松本二郎先生。顔が四角く眉毛が濃いので、そのあだ名が付きました。私は、その“下駄さん”に1年から3年まで唯一の持ち上がりの生徒でした。私が2年の時に結婚され、3年の時には新婚さんでした。
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会場には中学3年のお別れ会で皆で歌った舟木一夫の『高校三年生』が流れており、懐かしい写真がスクリーンいっぱいに映し出されました。それは故郷の風景や学び舎の『川内中学校』のスナップ写真でした。
いつの間にか、お互いに「〇〇くん」とか「△△ちゃん」とかの呼び名に変わり、心は遥か昔の時代に帰っていました。お互いに背負って来た人生を語り合いながら、「よくぞ今まで生きてきたものだ...」との感慨に耽ること頻りでした。
★2度目の“サプライズ”は、会場いっぱいに私の曲『松山慕情』が流れたことです。これについては次稿で書きます。
■(写真上)3年6組の面々(担任の松本二郎先生を囲んで)
■(写真中)今回の幹事達(私の『松山慕情』を持って)
■(写真下)3年5・6・7組の面々(4人の先生を囲んで)
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