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2度目のサプライズ

 投稿者:高木範夫  投稿日:2009年10月 3日(土)20時55分17秒
  通報 編集済
   私は、松山市街から車で約15分位の隣まちの東温市で生まれました。そこは松山市の郊外で、豊かな緑が広がる田園地帯です。農業では、表作が米、裏作が麦の二毛作で、自然災害の非常に少ないのんびりした所です。江戸時代は松山藩15万石の領地でした。この地方の人達は、松山の市街地の中心部を「ご城下」と呼んでいたようです。城主の松平家の殿様が「参勤交代」の際の通る街道(『桜三里』と呼ばれる)沿いに拓けた宿場町だったようです。

 私は小学校は「川上小学校」で、中学校は「川内中学校」です。いずれも東温市内にあります。高校は、松山市の城北地区にある「松山北高校」(旧制「北予中学校」)に通いました。この高校は、今年11月からスタートするNHKの大型ドラマ『坂の上の雲』に登場する秋山好古が4代目の校長を務めた学校で、いわゆる“士官学校”の様な校風でした。

         ★☆★☆

 高校時代を松山で過ごした私は、特に「文学・歴史」と「山登り」と「スポーツ」に多くの時間を費やしました。スポーツはテニスと柔道、そしてクラッシックギターを習うシャイな若者でした。恋愛はたくさんしましたが、全てプラトニック・ラブで...。

 東京の大学を卒業し、「ポンジュース」の愛媛県青果連に勤務しました。そこで、機関紙『青果連情報』の編集、国の果汁調整保管事業の事務局、輸出ジュースの通関業務、有料購読誌『果樹園芸』の編集、愛媛青果連を代表して『愛媛県総合農政対策室』への出向など、様々な経験をしました。
 『えひめみかん』の創始者の一人である父親の“親の七光り”を背負い、大変ハードな毎日でした。傍ら、愛媛大学法文学部で法律学を学び、司法試験にも何度かチャレンジしました。

          ★

★下記のURLには、親父(高木安次郎)が1959年(昭和34年)と1960年(昭和35年)に当時の日本園芸農業協同組合連合会の機関誌『果実日本』に書いた記録があります。文献番号(36)(37)です。

          ★

 34歳の時、親子5人(私と妻と3人の子供達)で、新天地を求め上京しました。新天地とは、その当時上り坂にあった『西武百貨店』でした。そこに7年半務め、「ゼネラルスタッフ」として経営を実地で学んだ後、41歳で退職。以後4年間は「経営コンサルタント」をしました。副業として、45歳の時に「健康宅配便」を始めたのが、幸か不幸か現在まで続いています。

         ☆★☆★

 こんな人生で今年還暦を向えました。「まったく、ようやるわ!...」といった具合で、東京での生活は今年で27年目です。故郷には1年に一度帰り、父母の墓参りをします。親父もお袋も、草葉の陰できっと笑っているでしょうね。

 同期会の会場で、今回の世話人事務局を務めてくれた花山力一君から、「60歳にして歌手デビューした高木君です」なんて紹介され、ついに102名の先生と同期生の前で歌いました。もっとも、半分くらいは話に夢中で聞いていなかったようでしたが...。2次会では、女生徒を中心にCDが25枚も売れました。多分に、「高木くんも、東京で苦労してるのね!」といった“同情票”だったのでしょうね。


★何はともあれ、素晴らしい「時と場所」を演出してくれた友人達に心から感謝しています。



■今は「親にもらった体一つで戦い続けた気持ち良さ」
 の心境です。

http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/kajyusaibainoteikosuto/22-3-1-6-3_b.html

 
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